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「僕のイマジネーションが向かう先はカタルシスなんだ」デレク・シアンフランス監督インタビュー

スターチャンネルEXで絶賛配信中の『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』。本記事ではデレク・シアンフランス監督のインタビューを掲載。

9000字近くありますが、最終話後のクレジットの意味や、この一見悲劇的な物語の先にある救いについて、非常に興味深く語って頂いています。

全話見終わった方にこそ、絶対読んで頂きたい内容です。

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Q:マーク(・ラファロ)からアプローチがある以前から原作小説のことはご存じでしたか?

A:知らなかったよ。昔から母親の書棚に並んでいたからこの小説の存在は知っていたけれどね。母は読んでいたし、原作と原作者のウォーリー・ラムが大ファンだったけれど僕自身は彼の小説はどれも未読だった。約6年前、マークと朝食を共にした際に彼からこのアイデアを持ち掛けられて、これが母親の愛読書だったことに気がつくまで知らなかったよ。

その後、900ページあるこの小説を読んでみて、これこそが僕のやりたかったことだと確信したんだ。というか、マークは僕の大好きな役者の一人だったし、彼には兄弟のような、家族のような親しみを感じていたから、彼から声をかけられてすぐにぜひ一緒に何か作りたい、これを手掛けみたいと思ったんだけれどね。

Q:あなたもマークもイタリア系アメリカ人というルーツを共有していますが、そのことがこのドラマの世界観に影響を与えていますか?

A:そうだね、イタリア系アメリカ人でカトリック教徒の家系であるという背景がマークと僕の生い立ちに大きな影響を与えていることは間違いないよ。僕の場合、イタリア系の背景は4分の1ではあるけれど、その4分の1の部分が僕の人生において大きなインパクトを与えているんだ。今の僕を作り上げたと言っても過言じゃないね。強いカルチャーがあるし、いつも親近感を覚えているんだ。なぜ僕のイタリア系の家族は独特な振る舞いをするのかという謎にも興味を抱いていたからね。子供の頃はある種の魔法みたいに感じていたし、ちょっと激し過ぎるとも思っていたよ(笑)。いささかアクが強いんだね!

マークの家系も同じだと思う。彼や僕はあのカルチャーの中に根付いている“男らしさ”という概念や“男たるもの”という考え方に向き合ってきた世代だからね。

僕らの仕事というのは、そうした考え方と常に衝突を続けていると思うんだ。僕は家族をテーマにした映画を作り続けているし、家族のレガシーというものに執着している。特に自分の子供ができてから家族のレガシーというものに興味を抱き始めたんだよ。僕の子供たちは僕のイタリア系の親族には一度もあったことがないのに、彼らの中には確かにその血を感じるんだ。そこから遺伝子や世代を超えて受け継がれていくものについて考え始めたんだよ。

僕は自分の映画で長い間、この人間の本質や人を育むものというテーマを描いてきた。この原作小説の中で原作者のウォーリーも主人公の中に封じ込められたトラウマと向き合い、自分自身を癒していくある男の心の行方を描いているんだよ。

Q:この物語のテーマに共感したということですね。

A:そうだよ

Q:原作小説は900ページだったと言及されましたね。映像化するのは大きな挑戦だったのではないですか?

A:何かを映像化することはある種の加工(プロセス)をするというとなんだ。キュレーション――つまり編集したり、引き算したりすることである一方で、新たに創造ですることでもある。これは僕とマークが原作者のウォーリーから最初に言われたことなんだよ。

彼との初対面の際に、「この物語を自分たちになりに考え、自分たちのものして欲しい」と言われたよ。彼からそう言われなかったらこのドラマを作ることはできなかったと思う。彼は僕らに、彼の作品に新たなインスピレーションをもたらすこと、それを自分たちの物語にしても良いという許しを与えてくれたんだ。正直にいえば、難しい作業ではなかったよ。このストーリー、キャラクター、そして家族の深い愛と葛藤、不確かさというテーマにとても共感していたからね。

僕もマークもこの家族には非常に激しい愛と苦悩があったことを理解していた。だから脚本を書くのは簡単だったとは言えないけれど、とにかくできることは原作の中に描かれているものと僕の中にあるもの、そしてマークの中にあるものを描き出すことだったね。

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Q:イタリア系アメリカ人であることの話がありましたが、その一方でこの物語は普遍的でもありますね? どの文化でも家族というのはヒューマンドラマの本質だと思うのですが

A:もちろん、その通りだ。とりわけ家族単位で隔離されている今の状況ではね。先の見えない不安な人生を送っている家族にとって、このドラマは癒しの物語になると僕は思うよ。さらに不安だけでなく新たなストレスとも向き合わなければならない人たちに響くような純粋な人間ドラマになっている。

この物語には多くの悲劇的な要素がある。この家族に訪れた悲劇を見つめながら、遠く時をさかのぼって悲劇というものの本質に思いを馳せるんだ。それは僕が原作で共感したポイントのひとつでもあるし、そうした悲しみの辛さ、喜び、ある男の家族の葛藤などを通じて観る人が自分の人生と重ね合わせたり、心を開いたり、癒しを得ることができればいいと思う。

これはカタルシスなんだ。そして僕が悲劇に魅かれる理由だよ。僕のイマジネーションが向かう先はカタルシスなんだ。他に向けようと思ってもきっとできないと思う。すごく愉快でコメディしか作れないという人もいるだろうけれど、それは僕には無理だね(笑)。

Q;原作者のウォーリーと彼の作品から自分の作品を作りなさい、と言われたそうですが、彼がこのドラマシリーズを観た時の反応はどうでしたか? あなたにとっては一大イベントだったと思いますが。

A:原作を映像化する場合、まずは原作の再現はできないということを受け入れなければならない。映画と文学は別のメディアだからね。単純に原作をそのままコピーして映画にすることはできないんだよ。違っていて当然なんだ。

例えば親を自分のルーツとなる元ネタだと考えてみるといい。良い子が自分の親に反抗してみるようなものさ。そして子供は親ならきっと自分を理解してくれると願うんだよ。クラシック音楽を愛聴する親に対して、自分はロックを爆音で聴く。でも親には「自分の好きなものを見つけ出しだね」と言って欲しい。もしくは彼らがロック好きで、自分はヒップホップが好きだったとしても、「そんなクズ音楽は消しなさい!」なんて言わずに理解を示してくれる、とかね。

だから僕の場合も“ウォーリーはどんな感想を抱くだろう?”と、予想できなかった。彼と彼の妻のために2日間で全6話を上演する試写会を行ったんだ。ウォーリーからは素晴らしいメールを受け取ったよ。彼がこのドラマをとても気に入ったことや僕らにとって役に立つことをいくつか言及してくれていた。とても寛大で思慮深くて謙虚で思いやりのあるメールだったよ。しかもメールの最後には彼の人柄を表すような言葉が添えられていたんだ。“デレク、どうか君とマークには奥様とご家族に私からの感謝を伝えて欲しい。このドラマを作り上げるために君たちのご家族が大きな犠牲を払い尽力したことを私は知っているし、心から感謝している”とね。

これを読んで、何という洞察力と細やかな感性を持った人物なのだろうと思ったよ。だからこそウォーリーは人間の内面を描くことができるんだ、人を理解しているからこそ人の心を映し出すことができるんだと確信したよ。彼の心の広さにはその時も、そして今も変わらず感動し続けているよ。

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Q;マークとあなたの関係についてお聞かせください。マークが双子を一人二役で演じることに不安はありましたか? ドミニク役を演じた後でトーマス役のために見た目も変えた役作りは必要なことだったのでしょうか?

A:マークと初期の頃に交わした会話の多くはこのドラマに必要な技術面のことで、僕らはトリックや余計な技術はできるだけ使わずに作品を作りたいと話し合ったんだ。そうした技術を用いることで上手くできている作品もあれば、物語の本質よりも技術的なことが目に付いてしまう作品もあるからね。

僕がやりたかったことは人を描くことだった。そしてここに登場するふたりの登場人物について考えた際に“彼らは一卵性双生児だから生まれたときはそっくりだったはずだ。でもそこから40数年の間にそれぞれ違う経験や選択、結果、思考を経て外見も変わっただろう。40年の人生がそれぞれに別の影響を与えてきたはずだ。トーマスは精神疾患を抱えて薬物治療をしている。調べてみると薬物治療をしていると体重が増えることがわかったから、トーマスもデレクより体が大きくなっているはずだとね。

マークとは話し合いの初期に、双子を描いた映画は大抵、まずは朝イチに双子のひとりを撮影してから、メイク室で口髭とウィッグか何かをつけて、昼からもうひとりを演じているように見えるよね、という会話を交わしたことがあってね。それなら僕らはいっそのことマークに実際に体型も変えてもらって異なるふたりのキャラクターを演じてもらったらいいんじゃないか、という話になったんだ。映画『ブルーバレンタイン』ですでにやったことがあったからね。あの映画ではライアン・ゴスリングとミシェル・ウィリアムズ演じる男女が恋に落ちるところから、結婚して6年後の姿を描いていたから、実際に1カ月間撮影を中断してふたりに15ポンド(約7キロ)ほど体重を増やしてもらい、同じ家で暮らしてもらってから、また作業を再開したんだよ。その時の経験から体形が変わると本当に動作にも変化があることを学んだんだ。

Q:どのように変化するのですか?

A:ドミニク役を演じてもらった時のマークは、普段の彼よりも体重が20ポンド(約9キロ)ほど軽かったんだ。20ポンドも減量したんだよ。そのせいで彼は常に空腹状態だった。そのせいでイライラしていて、いつも何かを気にしているように見えたよ。まるでクマと仕事しているみたいだった――あれは動物だったね(笑)。性格もとても外交的になっていたよ。オフでも撮影が終わるとお互いにハイタッチしたり、お互いのお尻を叩きあうような明るさがあった。撮影中はまるで別人みたいだった。まるで兄弟(ブラザー)のような親しさだったといえば伝わるかな?

あと、マークには本番前に必ず腕立て伏せをしてもらったよ。そうして常に少し息切れているような感じを出してもらったんだよ。胸筋も見事だし、血管が浮き出ていて、まさに男らしさを体現しているようだった。僕やマークのようなイタリア系の人たちが男らしさと言われて想像するような姿だったよ。僕の祖父の記憶といえば、彼の浮き出た血管なんだ。血の気が多くてイライラしていたからね。マークはドミニクを僕の祖父をさらに濃くしたような人物に仕立てあげてくれたよ。その後、彼は6週間の撮影休止に入ったんだ。

Q:では、マークが撮影を休止している間は彼以外の出演者の撮影をしていたのですか?

A:そうだよ、このストーリーにはほかにも様々な糸が絡まっていたからね――9歳の頃のドミニクとトーマス、大学時代のふたり、彼らの祖父の物語などね。マークは現場には来ていなかったけど1日おきに会話をして、体重が増えているか尋ねたり、マークは今の自分がいかに哀れな状況かを説明してくれたよ。

当初、マークは体重を増やすのは楽しいだろうと思っていたそうなんだ。ドミニクを演じている間の6週間は文字通り飢えていたけれど、今や好きなだけドーナツを食べて、パスタを食べて、1日4000キロカロリーも摂取できるようになったからね。

ところが、蓋を開けてみると、とても惨めな気分だし、座ったまま寝なきゃならないし、とにかくひどい状態になっていたよ(笑)。「本当にこれをやらなきゃダメなのかい? 服をたくさん重ね着するとか、詰め物をするのではいけないかな?」と何度も言われたよ。そこで彼には、「そうだね、君ならそれでもうまくやれるかもしれない。でもこのプロセスを信じて欲しいんだ。君が体重を増やせたら、君の気持ちも一緒に変わるんだよ。息遣いや動作だけじゃなくて振る舞い方も何もかもが変わるんだ」と伝えたんだ。その結果、トーマス役になったマークは控室のトレイラーからも出てこなくなるほど劇的に変化したよ。トレイラーに閉じこもって出てこないうえに、出てきたと思ったら誰とも目を合わせられないような傷つきやすい人物になっていた。完全に人が変わっていたんだ。

しかもこれがマークの役作りにも影響を与えていたんだよ。彼は役作りのリサーチの間に様々な人に会っていてね。その中でとある重度の精神疾患を抱えていたことのある人物と過ごしていただけじゃなく、僕らの話し合いの中で精神疾患という病そのものを演じることはやめようということになったんだ。トーマスの個性は彼のものだけど、精神疾患は彼が抱えているものであって彼自身ではないからとね。

僕自身のことで言えば、撮影前は今回の一人二役の試みがうまくいくかどうかわからなかった。ドミニク役のマークとトーマス役のマークにテーブルを挟んで向き合うことが果たしてうまくできるのかどうか、すべてが新たな試みだったからね。とにかくシンプルに自然に見えるように試行錯誤した。照明の具合からカメラ位置に至るまで長い時間を費やしたよ。僕は常に自分の手掛ける作品の中に登場人物の何気ないしぐさや二度と再現できないような瞬間を捉えようとするんだ。キャラクターの間で何気なく起こる物事をいつも映し出したいと挑戦しているからね。

Q:マークが双子のひとりを演じている間、相手役を演じてくれる役者はいたのですか?

A:いたよ。今回の手法のために僕の良き友人のひとりである役者のゲイブ・ファジオにマークの相手役をお願いしたんだ。「マーク・ラファロの兄弟役をやりたくないかい? 条件はこうだ――30ポンド(約13.5キロ)の増量とヘアカットが必要で、あと君は作品からはカットされる」と持ち掛けてみたんだよ。ゲイブは、「いいよ、やる……」と言ってくれた。

マークがドミニク役を演じている時にはトーマス役を演じて、その後マークがトーマス役のために増量する一方で、ゲイブは絶食をしてドミニク役のために30ポンド分の減量をして元の体型に戻したんだ。ゲイブはマークがドミニク役を演じている間、ずっと彼を研究することができたから、ドミニク役を演じる時にはそれを再現することができたんだよ。

Q:ゲイブはこの作品の影の主役ということですね……。

A:その通りだね。ゲイブにはいつも「君も出演している海賊版がきっと出回るはずさ」と話していたよ(笑)。

彼自身は今回の出演はまるで舞台のようだとよく口にしていたね。毎日、スタッフと僕、そしてマークのために演じていたからね。時にはマークが、「僕がトーマス役を演じている時にはあんなことをするはずじゃなかった」とボヤく時があってね。そんな時には彼にこう伝えていたよ。「こう考えてみるのはどうだい? トーマスはドミニクの思い通りには行動しないだろう。だから不満を感じる時にはそんな風に思えばいい」とね。だから時々不満があっても、マークはうまくその気持ちを利用していたし、ゲイブのことも、彼の演技も心から気に入っていたんだよ。

撮影には予期せぬ出来事は付き物だからね。僕はそうした場合、大半は直感で乗り切るんだ。マークは兄弟役であるゲイブに対して深い愛情と苛立ちの両方を抱えていたのさ。でもそれこそまさにドミニクとトーマスの兄弟愛の物語にふさわしかった。兄弟がいるということは絆と重荷を共に背負うことであり、家族というのは可能性と愛情、責任と喜びを分かち合うものだからね。選ぶこともできないうえに避けることのできない関係なんだよ。

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Q:ドラマの最後に、この作品をあなたの妹とマークの弟に捧げるという献辞がありましたが、これについてお聞かせください。

A:マークは12年前に弟を亡くしていて、これからもその事実を背負い続けていく。失った弟の存在、その悲しみはいつも彼の中にあって、撮影中もよく弟の話をしていたし、彼の演技には弟への思いも込められているという会話をしていたんだ。

そして撮影が終了した3日後には、僕の妹(のメーガン)が亡くなったんだ。兄として、このドラマの中に描かれている多くのテーマが妹と僕の関係に訴えかけていると感じたよ。だから僕は妹を失くした悲しみから逃げず、このドラマを完成させるまでは悲しみと共に生きようと思ったんだ。

そういうわけで約1カ月前にマークと僕はこのドラマで彼らに献辞を捧げたいと思い、さらにこの作品を観てくれる人たちに打ち明けようと考えたんだ。とてもプライベートなことだけどね。個人的な経験というのは、実は多くの人も同じような経験をしているものだと思うんだ。誰にでも別れと悲しみの経験があるはずだ。だから僕らの献辞を見た人たちもきっと、自分たちの亡くした人に思いを馳せてくれるだろうと考えたんだよ。愛情があるから深い悲しみもあるし、悲しみは辛いことだけれど、その一方で誰かとより一層強くつながったり、親密になったりもできる。だから僕は喪失という個人的なことも多くの人と共感しあえる橋のようなものとして受け入れたんだ。

妹の話をする時は喜んでする。とても素晴らしい人だったよ。介護士として高齢者の世話をしていた。こうやって話をしてより多くの人たちに妹のことを知ってもらうのは、僕にとってのギフトのようなものだね。妹に会ったことのない人にも彼女を引き合わせているような気持になるからね。

Q:今回が初のテレビドラマになりましたね。映画よりも長い形式で、より深く登場人物たちを掘り下げられるスタイルはいかがでしたか?

A:最高に楽しかったよ。TVシリーズを作っているとは一度も思わなくて、6時間半の映画を作って、それを6等分に分けているような感覚だった。そのおかげでオープニングとエンディングをそれぞれ6度も作ることができてとても興奮したよ。

ドラマの構成をあれこれと考えるのは本当に楽しかったよ。もちろん映画も好きだし、映画作りも大好きだ。ただ僕が過去に手掛けた数作品は3部構成で、そうすると大きなスクリーンでは時間が足りなくなってしまうという課題があったんだ。スクリーンが大き過ぎた。映画だからね。あの規模では僕の描く物語を深く追求することはできなかったんだ。何しろ僕の映画はスーパーヒーローやシリーズ物じゃないからね。

3部構成の映画を作る時はプロットだけに絞り込んで、登場人物やある瞬間を掘り下げることはできないという結論に至ったんだ。だから今回、マークに声をかけてもらった時にはこれこそ僕がやりたかったことだと感じたよ。1本の映画でありながら、登場人物とともに長い時間を共有することができる。キャラクター主体で彼らが生きる時間の中を共に過ごすことができるんだ。それがわかって脚本を書き始めた時には完全にのめり込んでしまったよ。

第2話ではドミニクがセラピストに会いに行くシーンに20ページ分も費やしていた。映画では絶対にできない醍醐味を楽しんだんだ。2時間の映画だと、20分間は全体の6分の1になってしまう。それでもできないことではないのだろうけど、僕には絶対に無理だ。でも6時間半の尺の中なら20分間を使うことができた。ひとつの空間をじっくりと描くことができたんだ。

タランティーノ監督のとりわけ初期の作品で僕がとても好きなのが、本来ならここで終わりかな?思うようなポイントを越えてシーンが続いていく演出なんだ。映画的に普通ならここでカットだろうと思うところを過ぎて、まだシーンが続いていく。僕もこの“続けるために続けていく。ここで終わらず、そのまま物事がさらに深くなっていく”描き方をやってみたかった。そして、今回やってみてとてもワクワクしたよ。実際、撮影初日にあの20ページのシーンを撮影したしね。

Q:かつて、映画にはインターミッションがある時代がありましたね。

A:そうだね、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』ではインターミッションのある脚本を描いたんだよ。最初はライアン・ゴスリング演じるキャラクターの話。その次はブラッドリー・クーパーのキャラクターで最後が彼らの子供たちの話になっているんだ。最初は編集室でインターミッションを挿入しようと単純に思ったんだけれど、そんなことをしたら誰もこの映画を配給してくれなくなってしまうという現実に目が覚めてね。それで代わりに“15年後”というタイムカードにしたんだけど、本当はそこに“インターミッション”と書かれるはずだった。インターミッションも演出効果のひとつなのさ。

タランティーノ監督は『ヘイトフル・エイト』で実践していたけれど、僕にはまだそのチャンスがないね。映画の作り手なら誰もが手法として用いてみたいと考えているはずさ。でもテレビだとそんな制約を感じることなくすべて広げられる。HBOはとても寛大で最終話の第6話はドラマの尺を80分間に拡大してくれた。まさに映画だったよ。まるで長編映画のような最終話を放送してくれたんだ。

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