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デレク・シアンフランスとマーク・ラファロ、彼らの運命が導いた「特別な作品」/文:宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)

『ブルーバレンタイン』デレク・シアンフランス監督のテレビドラマ初挑戦作となった『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』。本記事では映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんに、シアンフランス監督が過去作から本作に至るまでの流れや、本作を観た先にある感動について、詳しく解説頂きました。

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 一組の夫婦が離婚の決断に到るまでの心と身体の動きを、幸せだった時期の回想シーンを挟みながら、これ以上なく克明かつ残酷に浮き上がらせた『ブルーバレンタイン』(2010年)。二組の父と子の、二世代にわたる数奇な因果応報を大胆な構成でエモーショナルに綴った『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』(2012年)。他人の子供を育ててきた一組の夫婦の愛と葛藤の年月を、敢えてメロドラマの形式を用いて描いた『光をくれた人』(2016年)。夫婦関係や親子関係に宿る悲劇性に目を逸らすことができないデレク・シアンフランス監督の作品は、その物語に救いがあったとしてもなかったとしても、ただ観客の感情に訴えかけるだけではない、「自分にはこんな感情もあったんだ!」という新鮮な感覚を呼び起こしてきた。

 そんなシアンフランス作品にとって、映画からテレビシリーズへの移行は必然だった。3年前、『光をくれた人』の日本公開タイミングに自分がおこなったインタビューで、彼はこんな不満を漏らしていた。「今、自分は映画作家として大きな岐路に立っている。『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』は2時間20分に収めるために1時間10分ものシーンをカットしなければいけなかった。『光をくれた人』も長編映画のフォーマットに合わせるために第3幕だけで45ものシーンをカットしなければいけなかった。最近の映画の傾向に僕は少し違和感を抱いている。長い尺の映画はスーパーヒーローものやフランチャイズものだけに許されていて、人間ドラマの大作を作りたくても、それを劇場で上映してもらうことがどんどん難しくなっているんだ」。そして、その時点で4つのテレビシリーズの企画が進行中であることを打ち明けてくれたが、その中で最初に実現したのが、今回のHBOのテレビシリーズ、『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』ということになる。

 アメリカのベストセラー作家、ウォーリー・ラムによる『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』の原作は、『この手のなかの真実』というタイトルで日本でも2002年に翻訳版が刊行されている。同作の映像化が動き出したのは、本国で原作が刊行されたばかりの1998年のこと。『羊たちの沈黙』や『フィラデルフィア』といった原作ものの映画化作品で当時大成功を収めていたジョナサン・デミ監督によって、当初は20世紀フォックスで映画化の企画が進められていたが、その後の紆余曲折を経て、結局映像化の権利が原作者のラムの元に戻ってきた。

 映像作品を取り巻く時代の変化もあって、ラムはこの作品を映像化するなら映画よりもテレビシリーズの方が向いていると確信し、主人公のドミニク・バージーを演じてもらいたいという思いを込めてマーク・ラファロに本を送った。ラファロは原作に惚れ込み、ドミニクの役だけではなく、その一卵性双生児である障害を持った兄のトーマスの役も自分で演じたいとラムに答え、このプロジェクトに最も相応しい監督としてシアンフランスの名前を挙げた。ラムもまたシアンフランスのことを信頼していたので、シアンフランスが手がけた全6エピソードに及ぶ脚本の最終稿のチェックさえしなかったという。つまり、『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』は、原作者、主演の役者、監督&脚本家、いずれもが相思相愛で結ばれた幸福な作品として世に送り出されることとなったのだ。

 もっとも、『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』の物語自体は、決して幸福な物語とは言えない。むしろ、ストーリーが終盤に入るまではほとんどなんの救いもなく、衝撃的なオープニングのシーンから始まって、その後も次から次へと不幸な出来事に見舞われる主人公ドミニクに、視聴者は同情を通り越して途中から呆気にとられることになるのではないか。ちなみに原作では教師の設定だったドミニクだが、シアンフランスの脚本では、ドミニクは教師を数年前に辞めていて、『ブルーバレンタイン』の主人公と同じペンキ塗りの仕事をしている。

 本作で鍵となるのは、ドミニクが亡くなる直前の母から受け取った、イタリア語で書かれたイタリア系移民一世である祖父の自伝だ。イタリア語が読めないドミニクは、エピソード1でその自伝を女性の翻訳家に託すが、そこでも理不尽な災難に見舞われ、彼がようやくその翻訳を手にするのはそれから何年も経った後、エピソード4の最後となる。気が滅入るような展開が続くし、主人公は世界全体に対して常に激しい怒りを抱えているし(これだけ不幸が続けば無理もない)で、途中離脱したくなったとしても、どうかエピソード5まで見て欲しい。ようやくドミニクの手元に渡った祖父の自伝の翻訳を元にして、そこで一気に物語の舞台は20世紀初頭のコネチカットに時間が飛んで、主人公一家(及び彼らの隣人であるアメリカ先住民の一家)のルーツが描かれる。このルーツも暗澹とした気が滅入る話なのだが、そこでようやく、ドミニクの人生を襲ってきた数々の悲劇がある「呪い」によるものだということがわかって、視聴者は少なからず溜飲を下げることができるだろう。神を信じるか信じないかは別として、一人の人間が抱えきることができる不幸として、ドミニクの抱えるそれはあまりにも不公平に思えるものだった。

 しかし、それは本当に「呪い」なのか? 実は、『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』という物語、そして原題の「I Know This Much Is True」(少なくともそれは真実だ)という言葉に込められた意味は、その「呪い」の先にある。物語の着地点に到った時、本作は視聴者にある種の魂の浄化をもたらすことだろう。『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』はーーギリシア悲劇がそうであるようにーー物語による浄化作用というものには、悲劇の積み重ねによってしかなし得ないものがあるということを、現代においても証明してみせた野心作と言えるのではないだろうか。

 舞台となる90年代のコネチカット州の小さな町スリー・リバーズとそこで生活する人々を描く上で、シアンフランスがとったプランは明確だ。彼は6つのエピソード、約6時間のストーリーを、まるで一本の映画のように35mmフィルムで撮影していった。一方、ラファロはドミニクとトーマスの二人を演じる上で、まず最初に9キロ減量してドミニクの出演シーンを演じて、撮影を5週間休止した後、18キロ増量してトーマスの出演シーンを演じた。シアンフランスにとっても、ラファロにとっても、その輝かしいキャリアにおいて『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』は特別な作品となった。それが、たまたま結果的にすべてがうまくいって特別な作品になったのではなく、最初からそうなる宿命にあったことを、我々は最終エピソードのラストに出るクレジットで知ることになる。

文=宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)

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